豐多摩研究所 幡ヶ谷~中野
2017-02-04 作成
2019-02-02 更新(再編、五島慶太伝を追加)
2019-02-03 修正
2020-11-08 移動
豐多摩研究所 バス路線史 https://toyotamakenkyusyo.github.io/bus_route_history/index.xhtml
GitHub 豐多摩研究所 バス路線史 https://github.com/toyotamakenkyusyo/bus_route_history
概要
1925年頃から幡ヶ谷~中野に乗合自動車が運行されていた。後には代々木乘合自動車株式會󠄁社󠄃 が運行したようであるが、それ以前の歴史をまとめる。また、東京高校󠄃前󠄃 ~上ノ山 の歴史もまとめる。
同時代の史料としては、[1] 、[3] 、[5] 、[7] 、[9] 、[12] がある。その後の史料で独自の情報を含むものは、[14] 、[15] 、[17] 、[19] 、[21] 、[23] 、[26] 、[27] 、[30] がある。
幡ヶ谷~中野
1925年3月15日、免許が出願される[註9] 。
1925年、運行が開始される[註31] 。
表 輸送状況[註1]
乗客 賃金
人 円
1925年9月~1926年1月20日 6771 1713
1日平均 49 12.50
1926年7月7日~?、合資󠄄會󠄁社󠄃稻󠄁本自動車商󠄂會󠄁 が運行していた[註31] 。
1926年11月、登戶 、正藏󠄂院前󠄂 、東京高校󠄃 という停留所があった[註3] 。
1928年、代々木乘合自動車株式會󠄁社󠄃 の運行となる[註30] 。
運行時間は6時~22時、乗車賃金は1区間5銭だった[註10] 。
東京高校󠄃前󠄃 ~上ノ山
1926年11月26日、免許が出願される[註9] 。
1927年9月12日、免許される[註9] 。
1927年9月13日、開業する[註11] 。
地図
地図(経路の出典: [註7] , [註32] . 地図の出典: [44] .)
註と引用
[註1]
[2] で公開された[1] による。
引用(出典: [2] , p. 55. [1] , p. 85.)
中野幡谷間乘合自動車(大正十四󠄁年󠄁九月󠄂開󠄁始 大正十五󠄁年󠄁一月󠄂二十日󠄁迄󠄃)
電車
車輛
乘客一日󠄁平󠄃均󠄂
賃金一日󠄁平󠄃均󠄂
乘客總󠄁數󠄄
賃金總󠄁額
人
円
人
円
三
四󠄁九
一二・五󠄁〇
六、七七一
一、七一三
表に「電車」とあるのは誤りと思われる。
賃金総額の1713円を賃金一日平均の12.50円で割ると、日数は1713円÷12.50円=137.04日とわかる。1925年9月6日から1926年1月20日までの日数は25日+31日+30日+31日+20日=137日であるから、毎日運行されたとすると、運行開始は1925年9月6日と考えられる。
[註2]
[4] で公開された[3] による。
引用(出典: [4] , p. 117, p. 119. [3] , p. 199, p. 202, p. 203.)
左󠄁に其の運󠄃轉特許線及󠄃哩程󠄃(東京府外󠄁に至るものは其の哩程󠄃を省く)を示せば
(中略)
運󠄃轉區󠄂間
哩程󠄂
經󠄁營者󠄃氏名
哩
(中略)
(西󠄁武、武藏󠄂野、靑梅󠄃、京王電車沿󠄄線)
(中略)
幡ヶ谷―中野雜色
一、三
稻󠄁本繁󠄂之助󠄁氏
(中略)
であつて、何れの方面にもバスの通󠄃ぜぬ所󠄃はないのである。
いつの情報か明確ではないが、1926年5月3日の印刷であるから、それより前と考えられる。
[註3]
[6] で公開された[5] による。
引用(出典: [6] , p. 22, p. 23. [5] , p. 35, p. 36.)
中野町(豐多摩󠄂郡)
交󠄄通󠄃線名
西󠄁武・新宿、荻󠄂窪間電車
省線・鐵󠄁道󠄃省電車、汽車
幡鍋・幡ヶ谷、鍋屋横󠄁町間乘合自動車
京王・新宿、調󠄂布、多摩󠄂川、府中間電車
大字
番地
小字
線名及󠄂停󠄁留󠄁場󠄁
方位道󠄃程󠄃
(中略)
同
三九―一一六
登戶
幡鍋
登戶
其所󠄃
同
一一七―一五󠄁二
神󠄃明󠄂曳
同
正藏󠄂院前󠄂
其所󠄃
(中略)
同
三一五󠄁―三八󠄂六
上ノ山
幡鍋
正藏󠄂院前󠄂
其所󠄃
同
三八󠄂七―四󠄁五󠄁六
前󠄂原
同
同
西󠄁二丁
(中略)
同
六二二―六九八󠄂
八󠄂島
幡
東京高校󠄃
西󠄁三丁
同
六九九―七 二
向田
同
同
西󠄁四󠄁丁
同
七 三―七九一
橋戶
同
同
西󠄁北󠄁四󠄁丁
同
七九二―八󠄂三六
廣󠄃町
幡鍋
正藏󠄂院前󠄂
西󠄁三丁
同
八󠄂三七―八󠄂八󠄂四󠄁
蜂下
同
同
西󠄁四󠄁丁
1926年11月には登戶 、正藏󠄂院前󠄂 、東京高校󠄃 という停留所があったことがわかる。
[註4]
[8] で公開された[7] による。
引用(出典: [8] , p. 92, p. 93. [7] , p. 141, p. 142.)
東京都󠄃市計畫區󠄂域內に於ける乘合自動車 (昭和二年󠄁七月󠄃一日󠄁現在)
經󠄁營主󠄂體
資󠄄本金額
營業區󠄂間
路〾線延󠄅長
車輛數󠄁
從󠄁業員數󠄁
最󠄂初の開󠄁通󠄃年󠄁月󠄃日󠄁
總󠄂長
都󠄃市計畫區󠄂域內
千円
哩
哩
(中略)
京濱󠄁乘合自動車株式會󠄁社󠄃
三〇
品川驛󠄂前󠄃―六〾鄕󠄁橋北󠄁詰
六・八󠄂
六・八󠄂
四󠄁
一一
大正九、二、二三
(中略)
合資󠄄會󠄁社󠄃稻󠄁本自動車商󠄂會󠄁
二〇
代々幡町幡ヶ谷―中野町藥󠄁師󠄁堂前󠄃
一・五󠄁
一・五󠄁
四󠄁
一一
同一五󠄁、七、七
引用(出典: [8] , p. 9. [7] , (東京都󠄃市計畫區󠄂域内󠄁八󠄃十四󠄁ヶ町村)東京都󠄂市計畫〾區󠄂域內ニ於ケル交󠄂通󠄂〾機󠄂關圗󠄀(昭和二年󠄁七月󠄂一日󠄁現在) .)
藥󠄁師󠄁堂前󠄃?
幡ヶ谷?
[註5]
[10] で公開された[9] による。
引用(出典: [10] , p. 12. [9] , 凡例.)
一、本名鑑は(中略)業者󠄃を昭和二年󠄁十一月󠄂一日󠄁現在に依り、(中略)網󠄃羅す、但し印刷出來までに分󠄃明󠄂せる分󠄃は出來得る限り加除訂正を加へ以󠄁て現行たらしめたり。
引用(出典: [10] , p. 39. [9] , p. 45.)
代々幡町
代々木
一二四󠄁〇
代々木乘合自動車株式會󠄁社󠄃
(中略)
同
同
山谷
一八󠄂九
大丸󠄂組
同
同
同
三〇七
合資󠄄會󠄁社󠄃稻󠄁本自動車商󠄂會󠄁
[註6]
[11] による。
引用(出典: [11] , その他の乘合自動車 , p. 133, p. 134.)
東京市電、東京乘合自動車以󠄁外󠄁の乘合自動車は左󠄁の通󠄃り。
營業區󠄂間
營業哩數󠄄
車輛數󠄄
(中略)
稻󠄁本自動車
代々幡町幡ヶ谷―中野町藥󠄁師󠄁
一マイル五󠄁分󠄃
四󠄁
内容は[7] の抽出と考えられる。
[註7]
[13] で公開された[12] による。
引用(出典: [13] , p. 1. [12] .)
幡ヶ谷乘合自動車線(中野―幡ヶ谷間)
幡ヶ谷乘合自動車終󠄃發場󠄁
[註8]
[14] による。
引用(出典: [14] .)
登記󠄂所󠄃下―幡ヶ谷間
幡ヶ谷乘合自動車庫
[註9]
[16] で公開された[15] による。
引用(出典: [16] , p. 49, p. 50. [15] , 創󠄂業經󠄁過󠄃 .)
事業者󠄃
特許年󠄁月󠄃日󠄂
營業年󠄁月󠄃日󠄂
申請󠄃
許可
認󠄃可
開󠄁始
(中略)
東橫乘合
(中略)
中野線
幡ヶ谷―登記󠄂所󠄃下
大正一四󠄁・三・一五󠄁
―
―
大正一四󠄁・一二・一
川嶋―鍋屋橫町
昭和二・一二・二四󠄁
昭和三・四󠄁・二七
―
昭和四󠄁・一二・二八󠄂
東京高校󠄃前󠄃―上ノ山
大正一五󠄁・一一・二六
〃二・九・一二
―
〃二・九・一二
特許は自動車取締令の免許、申請は出願のことを示すと思われる。
特許の許可と営業の開始が同じ日のものがあるが、[19] の開業日と異なるため、営業の開始が誤りと思われる。
[註10]
[18] で公開された[17] による。
引用(出典: [18] , p. 388. [17] , p. 340.)
大正乘合自動車
【大正乘合自動車】中野坂上より起󠄃り、北󠄁の方省線「中野驛󠄁」に接〾續し、夫より野方町を通󠄃過󠄃して武藏󠄂野線鐵󠄁道󠄃「練󠄃馬驛󠄁」に至る。此の乘合線は大正乘合自動車株式會󠄁社󠄃の經󠄁營する所󠄃にして、昭和七年󠄁六月󠄃中の開󠄁通󠄃なり。運󠄃轉時間は午前󠄃六時より午後󠄁十時迄󠄃、乘車賃金は一區󠄂間五󠄁錢なり、
中野幡ヶ谷乘合自動車
【中野幡ヶ谷間乘合自動車】本町字氷川下に發着󠄁所󠄃を置き、北󠄁の方代々幡町幡ヶ谷間に至る。此の乘合線は中野幡ヶ谷乘合自動車會󠄁社󠄃の經󠄁營に係り、大正十四󠄁年󠄁九月󠄃の開󠄁通󠄃にして、運󠄃轉時間及󠄂び乘車賃金等略ぼ前󠄃に同じ。(本線は目下休止󠄁中なり)
「北󠄁の方代々幡町幡ヶ谷 」とあるが、代々幡町幡ヶ谷 は中野町字氷川下 より南に位置するため、誤りと思われる。
[註11]
[20] で公開された[19] による。
引用(出典: [20] , p. 53. [19] , 東京府 , p. 13.)
番號 事業種別 起󠄃點󠄁又󠄂ハ分󠄃岐點󠄁 主󠄂ナル經󠄁過󠄃地 終󠄃點󠄁 粁程󠄃 開󠄁業年󠄁月󠄃
4 旅󠄃客 澁谷區󠄂上通󠄃三ノ四󠄁 大向通󠄃二五󠄁 澁谷區󠄂代々木西󠄁原町一〇二八󠄂 2.7 大11.12.29
5 〃 〃幡ヶ谷原町九〇〇 中野區󠄂新山通󠄃 中野區󠄂千代田町七六 2.4 〃14.12.21
6 〃 芝󠄁區󠄂田町二ノ一八󠄂 三田豊岡町一五󠄁 澁谷區󠄂ヱビス通󠄃一ノ一 2.8 昭2.3.20
7 〃 中野區󠄂新山通󠄃一ノ一〇 中野區󠄂新山通󠄃二ノ一二 中野區󠄂新山通󠄃二ノ一六 0.6 〃2.9.13
[註12]
[22] で公開された[21] による。
引用(出典: [22] , p. 395. [21] , p. 308.)
中野・幡ヶ谷間乗合自動車
ロ 中野・幡ヶ谷間乗合自動車
これは大正十四年九月に開通したものであつて、幡ヶ谷乗合自動車と称し、稲垣穰の経営する所であつた。当時の中野町字氷川下に発着所を置き、北の方代々幡町(現渋谷区)幡ヶ谷間を〾往復する、中野幡ヶ谷乗合自動車会社の経営するところであつたが、昭和のはじめには運転を休止してゐた。が、後ち昭和三年十月代々木乗合自動車(経営者近〾藤富次郎)と合併して東横乗合自動車株式会社を創設し、更に昭和十一年五月三十一日、大正乗合自動車株式会社を合併し、翌十二年十一月一日、五島慶太を社長とし、名称も東京横浜電鉄株式会社と改めた。同社経営の東横乗合自動車については後ちに述べるが、この中野・幡ヶ谷間乗合自動車は、とりもなほさずその前身の一部をなすものである。
「これは大正十四年九月に開通したものであつて」と「当時の中野町字氷川下に発着所を置き、北の方代々幡町(現渋谷区)幡ヶ谷間を〾往復する、中野幡ヶ谷乗合自動車会社の経営するところであつたが、昭和のはじめには運転を休止してゐた。」は[17] と同じであり、[17] をもとにしたと思われる。
[註13]
[23] による。
引用(出典: [23] , p. 211, p. 212.)
これより以前、彼は官吏時代の先輩中西清一と共同して大正九年十二月、三角橋から渋谷駅に至るバスの免許を得て、資本金二万円で代々木乗合自動車を設立して営業を開始していたが、昭和三年十二月、三角橋から幡ヶ谷に至る幡ヶ谷乗合自動車を合併した。そこで、代々木乗合自動車は渋谷駅から三角橋を経て、幡ヶ谷に至る営業をなすようになった。
[註14]
[25] で公開された[24] による。
引用(出典: [25] , p. 199. [24] , p. 174.)
③東横バス
代々木バスとして大正13年に開通、幡ヶ谷バスを昭和3年10月吸収合併し東横バスとなった.昭和12年11月1日五島広太社長就任。東京横浜電鉄株式会社の一部門となる.
本社は渋谷区で本郷通3丁目に同社自動車部中野営業所並びにそのほか宮園通1丁目に同社大正営業所がおかれていた.一区間の料金は五銭で車柄は新フォードを使っていたが、当事定員はわずか16名という小型のものであった.
「幡ヶ谷バスを昭和3年10月吸収合併し」は[21] が元と思われる。
[註15]
[26] による。
引用(出典: [26] , p. 147.)
この代々木乗合自動車は,幡ケ谷自動車を買収して幡ケ谷から中野方面にまで路線を延長していったが,昭和4年8月,東京横浜電鉄のさん下にはいり,同年11月21日,姉妹会社のヱビス乗合自動車に合併された。
[註16]
[27] による。
引用(出典: [27] , p. 62.)
澁谷中野間の自動車。現在は澁谷驛󠄂西󠄁側廣󠄌場󠄁から澁谷神󠄂南、富ヶ谷を過󠄂ぎて環󠄂状六號線道󠄂路に出で、代々木八󠄂幡下から左󠄁に曲って幡代で甲州街道󠄂へ通󠄂ずる新道󠄂を路線として甲州街道󠄂へ出で、幡ヶ谷笹塚󠄅の境󠄁界の新道󠄂を青梅󠄂街道󠄂から中野駅前󠄂へと達󠄂してゐるが、この代々木中學下の新道󠄂、及󠄂び幡ヶ谷笹塚󠄅境󠄁界の改正道󠄂路が開󠄁通󠄂する以󠄁前󠄂は、現在幡ヶ谷を起󠄂點󠄁として渋谷、麻󠄂布霞町、虎󠄂の門、新橋、東京駅八󠄂重󠄁洲口間を往󠄂復する東京急󠄂行バス八󠄂重󠄁洲口線の渋谷幡ヶ谷間の路線、即ち東大前󠄂、東北󠄁澤󠄃を經󠄁て幡ヶ谷へ通󠄂ずる路線から甲州街道󠄂へ出で、甲州街道󠄂から六號橋通󠄂りを中野川島町、千代田橋を經󠄁て中野駅前󠄂へと運󠄂轉してゐたのであったが、之れは昭和三年󠄁頃󠄁開󠄁業された代々木自動車会社󠄂(渋谷、東北󠄁澤󠄃間)と、昭和四年󠄁開󠄁業した中野乗合自動車(中野川島町、東北󠄁沢駅間、後󠄁に中野駅まで延󠄃長)とが合併し、其の後󠄁小田急󠄂電鉄に買収󠄃された代々木乗合自動車会社󠄂の後󠄁身が、路線を変更󠄃したものと見るべきであらう(現在の經󠄁営は京王バスの傘下にある)。
「昭和四年󠄁開󠄁業した中野乗合自動車 」は中野乘合自動車株式會󠄁社󠄃 のことと思われるが、[19] とは「(中野川島町、東北󠄁沢駅間、後󠄁に中野駅まで延󠄃長) 」の部分が一致せず、誤りと思われる。
[註17]
[29] で公開された[28] による。
引用(出典: [29] , p. 67. [28] , p. 59.)
③中野幡ヶ谷乗合自動車 大正十四年九月の開通で、中野町氷川下と代々幡町幡ヶ谷の間を往復した。その後間もなく休業し、昭和三年に代々木乗合自動車と合併して東横乗合自動車となった(『中野区史(下巻二)』三〇八頁)。
引用(出典: [29] , p. 68. [28] , p. 60.)
2 稲本自動車商会は路線からみて中野幡ヶ谷乗合自動車と同一かと思われるが未確認
[註18]
[30] による。
引用(出典: [30] , p. 13, p. 14.)
▽昭和の初年まで幡ヶ谷から中野までバスが通っていました。代々木新町と幡ヶ谷原町との間のところで京王線の線路を越えると、左側に一二〇~一三〇坪(注、約四〇〇~四三〇平方メートル)の空き地があり、それが引き返し所になっていました。幡ヶ谷駅前でお客を降ろすとその引き返し所に回り、さらに駅前に戻って停車していたのです。甲州街道から今の六号通りを通って中野駅前まで行っていました。幡ヶ谷中野乗合自動車という名称だったと思います。
[註19]
[31] による。
引用(出典: [31] , p. 6.)
大正12年9月・―
◎代々木乗合自動車(株)の取締役に五島慶太が就任する。同社は幡ケ谷自動車(株)を買収し、幡ケ谷から中野方面まで路線を延長する。(『東急バス50年史』)
「『東急バス50年史』」は誤りで[26] のことと思われる。
[註20]
[32] による。
引用(出典: [32] .)
鍋横では、代々木バスが大正13年に開通し、幡ヶ谷バスを昭和3年に吸収合併し、東横バスとなった。本社は渋谷区にあり、本郷通3丁目と宮園通1丁目に営業所をおいていた。昭和初期の一区間の料金は5銭で車柄は新フォードを使っていたが、当時定員はわずか16名という小型のものであった。(中野区史より)
[註21]
[33] による。
引用(出典: [33] , p. .)
・中野周辺の東横乗合の路線免許(5ページ11行目)について。
もとは1925年9月に中野町字氷川下~幡ヶ谷間を運行開始した幡ヶ谷乗合自動車と、1932年6月に中野坂上~練馬間を運行開始した大正乗合自動車の路線が発祥である。幡ヶ谷乗合は1928年10月、代々木乗合に合併され、1929年11月にヱビス乗合と東京横浜電鉄の自動車部門と合併して東横乗合自動車となり、1936年5月には大正乗合をも吸収(1935年7月買収)している。
「もとは1925年9月に中野町字氷川下~幡ヶ谷間を運行開始した幡ヶ谷乗合自動車」と「幡ヶ谷乗合は1928年10月、代々木乗合に合併され」は[21] が元のようである。
[註22]
[34] による。
引用(出典: [34] .)
幡ヶ谷→代々木→東横と引き継がれた現在の京王中野営業所の路線は中野~幡ヶ谷~東北沢~渋谷。渋63の原型のような路線だけど、幡ヶ谷以南が現在の渋55のルートになっていた。
[註24]
[37] で公開された[36] による。
引用(出典: [37] . [36] .)
その後、昭和初期までの間に幡ヶ谷乗合自動車を買収し、幡ヶ谷・中野方面に路線を拡張していく(幡ヶ谷線)。
引用(出典: [37] . [36] .)
T末~S初
幡ヶ谷自動車を買収し幡ヶ谷・中野方面へ延長。
[26] が元のようである。
[註25]
[39] で公開された[38] による。
引用(出典: [39] . [38] .)
代々木乗合自動車と幡ヶ谷自動車
東急が中野方面に進出するきっかけとなったのが、代々木乗合自動車による幡ヶ谷自動車の買収である。
代々木乗合は、渋谷~三角橋(現・松陰学園前)間などで営業していたが、同社の買収によりエリアを幡ヶ谷・中野方面に拡大していった。その正確な時期は不明だが、大正末期~昭和初期のことであり、買収まもない頃の中野地区路線は、幡ヶ谷~中野登記所間と東京高等学校~上ノ山間だけだったようである。
「同社の買収によりエリアを幡ヶ谷・中野方面に拡大していった。」と「その正確な時期は不明だが、大正末期~昭和初期のことであり」は[26] が元のようである。
[註26]
[40] による。
引用(出典: [40] .)
代々木乗合は、昭和3年に幡ヶ谷自動車を合併して中野区方面に路線を拡張したのち、昭和4年にエビス乗合自動車と合併して東横乗合となり、東京横浜電鉄の傘下に入った。
[21] と[26] が元のようである。
[註27]
[41] による。
引用(出典: [41] .)
東横乗合が中野で営業するきっかけとなったのは、その前身の1つである代々木乗合自動車(東急バス淡島営業所 参照)が1928年に幡ヶ谷自動車(幡ヶ谷~中野登記所)を買収したことである。
[21] と[26] が元のようである。
[註28]
[42] による。
引用(出典: [42] , p. 39.)
代々木乗合自動車はその後、幡ヶ谷自動車を買収して、幡ヶ谷から中野方面にまで路線を延長した。
[26] が元のようである。
[註29]
各史料の起終点を表にまとめた。[註11] より起点が幡ヶ谷の側で終点が中野の側と考えられる。中野の側の終点の名ははっきりしない。[註13] と[註16] は誤りと思われる。1 mile = 1609.344 mとすると、1.3 mile = 2.1 km、1.5 mile = 2.4 kmとなるため、[註2] の値だけ短い。
時 起終点 経過地 起終点 道のり 出典
1925-09~1926-01-20 中野 幡谷 [註1]
~1926-05-03 幡ヶ谷 中野雜色 1.3 mile [註2]
1926-11 幡ヶ谷 登戶 、正藏󠄂院前󠄂 、東京高校󠄃 鍋屋横󠄁町 [註3]
1927-07-01 代々幡町幡ヶ谷 中野町藥󠄁師󠄁堂前󠄃 1.5 mile [註4]
[註5]
~1928-08-10 中野 幡ヶ谷 [註7]
~1929-04-15 登記󠄂所󠄃下 幡ヶ谷 [註8]
幡ヶ谷 登記󠄂所󠄃下 [註9]
本町字氷川下 代々幡町幡ヶ谷 [註10]
澁谷區󠄂幡ヶ谷原町九〇〇 中野區󠄂新山通󠄃 中野區󠄂千代田町七六 2.4 km [註11]
中野町字氷川下 代々幡町(現渋谷区)幡ヶ谷 [註12]
三角橋 幡ヶ谷 [註13]
[註15]
中野川島町 東北󠄁沢駅 [註16]
幡ヶ谷 中野 [註18]
[註30]
各史料の事業者名を表にまとめた。はっきりしないが、経営者は稻󠄁本繁󠄂之助󠄁 [註2] や合資󠄄會󠄁社󠄃稻󠄁本自動車商󠄂會󠄁 [註4] のようである。代々木乘合自動車株式會󠄁社󠄃 が運行するようになるのは1928年10月[註12] 、1928年12月[註13] のどちらかははっきりしないが、1928年のようである。
時 経営者名、商号 名称 その他 出典
1925-09~1926-01-20 中野幡谷間乘合自動車 [註1]
~1926-05-03 稻󠄁本繁󠄂之助󠄁 [註2]
1926-11 幡ヶ谷、鍋屋横󠄁町間乘合自動車 [註3]
1927-07-01 合資󠄄會󠄁社󠄃稻󠄁本自動車商󠄂會󠄁 [註4]
1927-11-01? 合資󠄄會󠄁社󠄃稻󠄁本自動車商󠄂會󠄁 [註5]
~1928-08-10 幡ヶ谷乘合自動車 [註7]
~1929-04-15 幡ヶ谷乘合自動車 [註8]
[註9]
中野幡ヶ谷乘合自動車 、中野幡ヶ谷間乘合自動車 、中野幡ヶ谷乘合自動車會󠄁社󠄃 [註10]
[註11]
稲垣穰 幡ヶ谷乗合自動車 中野・幡ヶ谷間乗合自動車、中野幡ヶ谷乗合自動車会社 [註12]
幡ヶ谷乗合自動車 [註13]
幡ケ谷自動車 [註15]
中野乗合自動車 [註16]
幡ヶ谷中野乗合自動車 [註18]
[註31]
各史料の運行開始年月日を表にまとめた。いずれの史料も1925年であるが、日付ははっきりしない。なお、[註4] より運行開始当初は合資󠄄會󠄁社󠄃稻󠄁本自動車商󠄂會󠄁 の経営ではなく、1926年7月7日に変わった可能性がある。
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